ベジェレスク境界の神仏
かつて人々を分ける境界は明確に存在していた。
カミ/ヒト、ウチ/ソト、富/貧は物理的な障壁、衣服、言葉、所作といった、わかりやすい形でそこにあった。
それら制約に身体を慣らすことが、社会の成員の第一条件だった。
言葉遣い一つ間違えれば棒で打たれる。それが常識だった。
遠い昔の話のように思われる。そうした習慣はすっかり置いてきたものだと。
しかしながら、境界は未だにそこにある。
私たちとお前たちとを分け、振る舞いを変える境目が見えなくなっただけだ。
それはさながら、実体のない数式であるのに線を引けるベジェ曲線のようである。
境界は道でつながれる。
未知の境界を神仏はなぞる。越境に幸いあれと。
〈ステートメント〉
近代以前まで、我々を取り巻く「差異」は物理的に示されていた。
江戸時代を例にとれば、武士階級と平民では言葉遣いから所作まで異なっていた。※1
そうした顕在化された「差異」のなかで、「私」とそれ以外とを分けることは簡単なことであった。
「差異」を自明視し、それを強固にするよう振る舞いを覚えたのだから、「差異」には諦めをもって接することがよしとされた。
現代の我々はそうした桎梏からは無縁なものと思われている。
しかしながら、身分階級はなくなりこそすれ、「差異」を認識させられる機会は変わらず存在する。
自明視するための物理的機構を失ったことにより、千変万化の様相を呈し、複雑さを極めている。
そうした現代の「差異」からの脱却を表現するため、以下の二点を用いる。
不可視だが確かに存在する「差異」を、数式で表現されるベジェ曲線になぞらえ、「ベジェレスク」という造語を用いること。
かつ、そうした「差異」を「境界」と表現し、そこから遊離するモチーフとして、地蔵菩薩を現代的解釈で立体化することである。
地蔵菩薩は平安から江戸にかけて、地獄からの大いなる救済者、安産祈願や地蔵盆における子供の守護者※2として信仰の対象となった。
室町では死者供養と六地蔵を結び付け、墓地に置かれるようになり、※3同時に道祖神と習合し※4、村の境界に祀られていった。
ここでは「境界」を示すという役割に注目し、人々の実生活に寄り添うモチーフとして、地蔵菩薩が適切であると考えた。
現代の仏像は様式の踏襲が要求されるものの、作家の主観を反映する対象として選択されることが多くなってきている。
ここで仏像をガレージキットの文脈に置き、作家とキットを組む人双方の解釈が地蔵菩薩に反映されるという図式をもって、
「境界」を自由に取り扱う姿勢を提示しようと試みるものである。
※1 渡辺浩『象徴の政治学』
※2 伊藤真『佐々木月樵における地蔵信仰と地蔵経典論』
※3 井阪 康二『生と死の仏教民俗』
※4 柳田國男『日本の伝説』