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​雨宿る神仏

雨降る軒先に神は宿る

 

亡霊として姿の見えなくなった神仏はどこにいってしまったのか?

それは何のこともない街角や塀の上、仕草や風習に見ることができる。

我々が目を向けない限りは、乾いた風景のままなのだ。

しかし一度気にしてみれば、見覚えのある後姿を認めることができる。

一時の雨をしのぐように、確かにそこにいる。

〈ステートメント〉

近代以降、姿を消した神仏は価値規範として我々の生活の根幹にいる。小坂井はそれを神の亡霊※1と表現した。

それを踏まえ、かつて私は私有化される神、人々の間の見えない断絶をなぞる神といったテーマで個展を行った。

だが制作と観察を重ねるうちに、信仰が失われたのではなく、むしろ日常の周囲に静かに息づいているのではないかという感覚が芽生えた。

近代において神の世俗化を経験した欧米と異なり、日本における神仏の立場とは、「母性的に寄り添う」ものである。

自然に対する共感的かまえを基盤とし、氏神信仰と祖先祭祀の盛衰を経て※2現在の形に落ち着いている。

そうした折、関西で見かけた瓦をきっかけに、神仏の具体的な息づき方があるのだと知った。

江戸時代に隆盛を誇った町がある。そこでは門扉の両端に飾り瓦として、恵比寿、大黒を飾っていた。地域一帯でその風習が受け継がれていると知り、信仰は単なる理念ではなく、まさに「土地に宿る」ものであると理解した。

 

本展を行う東京・谷中もまた、信仰と都市生活が交差する土地である。

江戸時代、寺院を中心に発展し、大規模火災や空襲といった「変更」を余儀なくされた街である。

宗教のあり方の変遷に呼応するかのように、形を変えてきた歴史がある。

人々の営みの隙間に現代的な「バズり」と寺社が並ぶそのさまは現代の神仏のあり方を知るのに適した土地だといえよう。

 

私はこうした町の風景の中に、あえて明確な仏像を配置するという試みを行う。

仏像は東大寺法華堂の不空羂索観音立像をモチーフとしており、その荘厳さを借りることで、弊作品群の中でも仏像が強調されたものである。

これは、日常の中に潜む信仰の気配に、わずかに光を当てようとするものである。

仏像がそこに「居る」ことによって、街が持つ宗教的な地層が一瞬、露わになる。

それはあたかも、雨を避けた人が一時的に軒下に身を寄せるような瞬間を思い起こさせる。本展のタイトル『雨宿る神仏』は、そうした“気配の一時的な可視化”を象徴している。

 

 

※1 『神の亡霊:近代という物語』 小坂井

※2『日本の伝統的民族宗教の歴史的展開』阿部

展示予定

6/19(木)~22(日)、26(木)~29(日)
​会場;https://howhouse.jp/howhouse-east/  
開催概要;

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